「考える」ということについて(1)

誰しも「わたしは考え事をしている」という言い方をする。

 

けれど「考える」という行為は、実は誰でもやっていることじゃない。この点をはっきりさせておくことは、全く思考力の欠如した人間が、あたかも知識人であるかのようにメディア上でコメントを求められているような状況においては、それなりに大事なことだろう。

 

最初のとっかかりとして、人間とコンピューターは何が違うかを考えてみよう。

 

コンピューターは便利だ。様々な変数と分岐を瞬時に処理して、回答を導き出すことができる。Excelを仕事で用いる人は多いだろうし、将棋ソフトは膨大な選択肢のなかから最善手を導き出して、プロ棋士をすら負かしてしまう。進化生物学者が生物の系統樹を作成するにあたっても、コンピューターによる分析は欠かせない。処理の速さという点においては、人間はコンピューターには敵わない。

 

けれど、コンピューターは「思考」しているわけではない。computeという語は「計算する」という意味だ。ある人が「いま考え事をしている」という際にも、実際は「いま計算をしている」という意味であることはとても多い。例えばある日のタスクがいくつかあって、どういう順番でそれを処理しようかを「考える」というのは、実際にはいちばん楽でロスの少ない道筋を、最適解を導き出すための「計算」だ。

 

「計算する」とは結局のところ「変数を処理して解を導き出す」ということだ。コンピューターは「計算すること」にかけては人間の追随を許さないが、「思考すること」はできない。同様に、物凄く状況の処理能力に優れ、儲けを出すのが上手なビジネスマンがいたとしても、それは必ずしも彼が「考える」能力において優れていることを意味しはしないのだ(もちろんビジネスで成果を出すことができるのは一つの能力ではあるけどね)。

 

じゃあ、「計算する」ことに対して「考える」ことの本質はどこにあるだろう。

 

フィクション作品のなかには、AIを描くことを通じて「考える」というのがどういうことかについてヒントを与えてくれるものがある。僕が最高度のリスペクトを寄せるアニメ、『攻殻機動隊』はそういう作品の一つだ(『攻殻機動隊』シリーズにはたくさんの作品があるが、観たことない人にはとりあえず神山健治監督の『攻殻機動隊 Stand Alone Complex』をおススメしたい)。

 

この作品にはAIを備えた「思考戦車」タチコマが登場する。タチコマが特別なのは、彼らが兵器として状況に対処するための最適解を「計算する」に留まらず、「機械である自分たちはどう振る舞うべきなのか?」「自分たちに魂=ゴーストはあるか?」「自分たちにとって死ぬとはどういうことか?」といった問いについて、文字通り「考える」ことをやめないからだ。

 

 

タチコマたちの姿をヒントにして、次に「計算する」こととは区別される「思考する」ことの本質はどこにあるのかを考えてみよう……続く。

2件のコメント

  1. ちょうど先週実家に帰った時に、いつぞや君からもらった攻殻機動隊のDVDを持ち帰ってきたので改めて観ようと思ふ。

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