救えたかもしれない牛について

今日、一頭の牛が死んでしまった。

 

感傷に浸る趣味はないし、牛が死んでしまったのも働き始めてから初めてのことではない。数百頭の牛がいれば、当然死んでしまう子もいる。

 

ただ、あの子はまだ若かった。初めて子牛を産んだばかりで、毛並みもつやつやして体格も立派だった。

 

この時期になると、大腸菌の毒素が原因で調子を崩す牛が増える。この場合シグナルがあって、乳房がカチカチになったり、乳汁が水っぽくなったり、高熱が出たりする。つまりあと半日早く搾乳時に気付いてあげられていれば、救えたかもしれない牛だったのだ。もちろん搾乳は一人でやっているわけではないから、僕が一人で罪の意識を背負い込む必要はないのだが、それでももし自分が気付いてあげられていれば…と思ってしまう。

 

最後は立てなくなって手の施しようがなくなり、注射での安楽死だった。僕はしばらく傍にいて撫でてやっていたのだが、彼女の訴えかけるような目が痛かった。

 

彼女の死に僕は責任を負えない。けれど、せめて自分に救えるものは救っていこう。責任はなくとも、通すべき筋というものはある。

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