誰かとサシでお酒を飲む機会があるたびに、「覚えている最初の記憶は何?」という質問を投げかけるようにしている。
それほど深い意味はなくて、単に子ども時代の記憶というのは酒の肴になりやすいからというのが基本的な理由だ。ただ、流れる時間の中で記憶に残っている一点というのは、その人がどのように人となりを形成してきたのかということを、ある程度映すんじゃなかろうか、ともおもっている。
僕が映像として覚えている最初の記憶は、病院の記憶だ。とはいっても、自分が怪我や病気をしたというのではない(というか怪我や病気にはほとんどなったことがない)。弟が大きな総合病院に入院していた時期があり、母がそれに付き添っていたのだが、祖父母に預けられていた僕はちょくちょく遊びに行っていた。3歳くらいのことだとおもう。
僕は病室にいて、同い年くらいの女の子がいた。弟はいたかどうかはっきりしない。母は確か、食事を温めに病室を出たのだが、そのとき扉が閉まらないよう、大きめのペットボトルか何かを扉に挟んでいってくれた。ところが、女の子がふとした弾みでそれを抜いてしまい、大きな音を立てて扉が閉まってしまった(昔の病院だからか、重くて子どもにはとても開けられないような扉だった)。
僕は恐怖に包まれた。こんな大きな扉、とても開けられない。もしかしたらもう二度と、この部屋から出ることができないのではないか…
それで、我ながら頑張ったと思うのだが、3歳くらいの僕は病室のナースコールを押したのだ。で、「どうしましたか?」という声に僕は泣きそうな声で、「扉がしまっちゃった…」と言ったのだった。
はっきり覚えているのはそこまで。もちろん二度と出られないなんて訳もなく、母だか看護士さんだかがやってきて扉を開けてくれたはずである。
なぜナースコールなんてものを3歳の僕が知っていたのかは分からない。おそらく教えてもらっていたわけではないだろう。扉が閉まってしまうくらいのこと、もちろん今から考えれば何でもないのだけど、それでも当時の僕にはひどく怖かった。その恐怖の感情が、情景とセットになって焼き付いている。で、子どもなりに知恵を絞って、このボタンを押せば誰かが来てくれるはず、ということに思い至ったのだろう。
そんなわけで僕の最初の記憶は、「はじめて自分で知恵を絞って障害を乗り越えたときの記憶」なのである(自分の力で扉を開けたわけではないのだけれど)。その記憶がどこかで、何かにぶつかったときに知恵を絞って考えてみるという態度に繋がっている気がするのだ。僕の記憶は実際に起きた事実とは違うのかもしれない。けれど大事なことは、僕がその記憶をそういう経験として意味づけているということ、それ自体なのである。
さて、あなたが覚えている最古の記憶は何ですか。それはあなたにとって、どのような意味をもつ経験ですか。ね、結構酒の肴になりそうでしょう?